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2026.07.27

【学習の科学】リフレクションは、忙しいとできないのか——"立ち止まる時間"という思い込みをほどく

記事 / 写真 / 画像:LEARNING SHIFT INC.
【学習の科学】リフレクションは、忙しいとできないのか——”立ち止まる時間”という思い込みをほどく
「リフレクションが大事なのはわかっています。ただ、そんな時間、どこにあるんですか」。

研修の場でこの言葉を聞くたびに、私はいつも、少しだけ立ち止まります。おっしゃることは、よくわかる。日々の仕事は途切れなく押し寄せ、静かに自分と向き合う時間など、どこを探しても見当たらない。だから、リフレクションは「余裕のある人がやること」になり、忙しい人ほど遠ざかっていきます。

けれど、この言葉の裏には、ひとつの思い込みが隠れています。『リフレクションとは、立ち止まって過去を振り返る、特別な時間である』——という前提です。この記事で考えたいのは、その前提そのものです。リフレクションは、本当に「時間を取らないとできない」ものなのでしょうか。

1. 「立ち止まって振り返る時間」という思い込み

多くの職場で、リフレクションは「イベント」として扱われています。研修の最後に配られる振り返りシート。年度末の面談で書かされる一年の総括。プロジェクトが終わったあとの、慌ただしい打ち上げ前の反省会。

どれも、共通の形をしています。何かが終わったあとに、時間を確保して、過去を振り返る。この形が、私たちの「リフレクション観」をほとんど決めてしまっています。だから、忙しくて時間が取れなければ、リフレクションはできない。ごく自然な結論に思えます。

けれど、この形には、二つの限界が潜んでいます。

一つは、「後で」が、たいてい来ないことです。振り返りは、常に「落ち着いたら」「一段落したら」に先送りされます。そして仕事に、落ち着く日は来ません。研修の終了5分前、司会に促されて配られる振り返りシート。受講者はペンを走らせますが、その多くは「学んだことを一つ書く」欄を埋めるための言葉であって、本当に立ち止まって考えた跡ではありません。提出のために埋められたシートは、翌日には誰も読み返さない。「今日の反省」は、書いた瞬間に役目を終えて忘れられていく。時間を前提にしたリフレクションは、時間がないという理由で、いちばん必要な人から順に失われていきます。

もう一つは、もっと根が深い。それは、リフレクションを「自分と向き合う内省」で完結させてしまうことです。自分の行動を思い返し、良かった・悪かったを判定して、反省する。もちろん、それは大切です。ただ、そこで止まると、リフレクションは「反省の会」になります。自分の内側をぐるぐると巡るだけで、視界が外へ広がらない。過去には触れても、未来にも、他者にも、つながっていかない。

この二つ——「後回しにされて消える」ことと、「自己理解で止まる」こと。リフレクションが根づかないのは、担当者の意識が低いからでも、真面目さが足りないからでもありません。リフレクションを「特別な時間」として設計してしまった、その入り口に、すでに答えが埋まっていたのです。

2. 省察は、行為の「後」だけでなく「中」にもある

ドナルド・ショーンという教育哲学の研究者がいます。専門家がどう学び、どう賢く動くのかを、生涯問い続けた人です。彼は著書『省察的実践とは何か』(原著 1983年)で、省察——つまりリフレクション——を、二つに分けて捉えました。

一つは、行為の後の省察(reflection-on-action)。仕事を終えたあとに、あれはどうだったかと振り返る。私たちが「リフレクション」と聞いて思い浮かべるのは、ほぼこちらです。

そしてもう一つ、ショーンが本当に光を当てたのは、行為の中の省察(reflection-in-action)でした。何かをしている、まさにその最中に、自分のしていることを一段高いところから眺め、「おや、これは思っていたのと違うぞ」と気づき、その場でやり方を調整する。この、動きながら自分を見る営みこそ、熟練した人の賢さの正体だ、と彼は言うのです。

思い当たる場面は、いくらでもあります。研修中、受講者の表情が曇ったのを感じ取って、用意していた進行を捨て、問いを一つ差し込む。商談の途中で、相手の関心がずれていることに気づき、資料をめくる手を止めて、話の順番を組み替える。会議で、自分が話しすぎていると気づいて、口を閉じる。私たちは、実は毎日、行為の中で省察しています。ただ、それを「リフレクション」と呼んでこなかっただけなのです。

この視点に立つと、風景が反転します。忙しさは、リフレクションを妨げるものではありません。むしろ、行為の中の省察が、最も要る瞬間です。予定どおりに進まない、想定外が起きる、判断を迫られる——そういう「忙しい」場面こそ、動きながら自分を見る力が、成果を分けます。

「時間がなくてリフレクションできない」という言葉は、だから、少しだけ言い換えられます。それは「振り返りの時間が取れない」という意味であって、「省察していない」という意味ではない。私たちに足りていないのは、時間ではなく、日々の行為の中で起きている省察を、意識にすくい上げる習慣のほうなのかもしれません。

3. 自己理解の先へ——リフレクションを「5つの行為」で捉え直す

ただ、「行為の中でも省察している」と気づくだけでは、まだ半分です。第1章で挙げたもう一つの限界——自己理解で止まってしまう問題が、残っているからです。動きながら自分を見たとして、その気づきは、どこへ向かうのか。

私が理事を務める21世紀学び研究所(代表理事・熊平美香)は、リフレクションを「自分と向き合う内省」に閉じ込めず、五つの行為として捉え直しています。自己理解を出発点にしながら、そこから外へと開いていく。順に見ていきます。

① 自分を知る。 すべての起点です。自分がいま何を感じ、何を前提に、どんな判断をしているのか。自分の頭の中を、もう一人の自分が眺める。心理学でメタ認知——自分の思考を客観的に捉える力——と呼ばれるものが、ここに当たります。行為の中の省察も、この土台の上に成り立ちます。

② ビジョンを形成する。 リフレクションは、過去だけを向く行為ではありません。「自分は本当はどうありたいのか」を描くことも、立派なリフレクションです。ありたい姿があるから、現在とのギャップが見え、学びの必要が生まれる。振り返りが「反省」で終わらず、前を向く力に変わるのは、この行為があるからです。

③ 経験から学ぶ。 起きた出来事を、ただ「良かった・悪かった」で片づけない。そのとき自分が抱いた意見・経験・感情・価値観——研究所ではこれを「認知の4点セット」と呼びます——を丁寧にほどいていくと、出来事の奥にある、自分の判断のクセが見えてきます。経験は、放っておいても学びになりません。ほどいて、はじめて学びに変わります。

④ 多様な世界から学ぶ。 ここで、リフレクションは他者へと開きます。自分一人の内省には、必ず死角があります。だからこそ、自分と違う前提を持つ人の話を、評価を挟まずに聴く。異なる意見を、否定の対象ではなく、自分の枠を広げる素材として受け取る。対話は、リフレクションの外側にある活動ではなく、リフレクションそのものの一部なのです。

⑤ アンラーン。 最後は、手放すことです。アンラーンとは、これまで身につけた成功のやり方を、もう通用しないと認めて、いったん脇に置くこと。知識を足すよりも、古い前提を手放すほうが、はるかに難しい。けれど、変化の速い時代に効くのは、何を新しく覚えたかより、何を手放せたかのほうです。①〜④で見えてきた自分の枠を、ここで更新する。リフレクションは、この行為によって、ようやく「変わる」ところまで届きます。

五つを並べてみると、リフレクションが「自分と向き合う静かな時間」という像から、ずいぶん遠いところまで来たことがわかります。自分を知り、ありたい姿を描き、経験をほどき、他者から学び、古い自分を手放す。これは内省ではなく、学びと変化を駆動する、一連の力です。

4. リフレクションは、「時間」ではなく「見方」である

ここまで来ると、最初の問い——「忙しくてリフレクションの時間が取れない」——が、少し違って見えてきます。

リフレクションは、時間を確保して行う特別なイベントではありませんでした。それは、行為の中で自分を見る「見方」であり、その気づきを、自己理解にとどめず、ビジョン・経験・他者・変化へと開いていく力でした。見方は、時間を必要としません。会議の最中にも、商談の途中にも、部下との一対一の場でも、持ち込むことができます。

この捉え直しから、担当者が手にできるものが、三つあります。

一つ目は、「時間がないからできない」という言い訳が、成り立たなくなること。もちろん、まとまった振り返りの時間には、それにしかない価値があります。けれど、それが取れない日でも、行為の中の省察はできる。リフレクションは、忙しい人から遠ざかるものではなくなります。

二つ目は、リフレクションが「反省会」から解放されること。過去のミスを裁く場ではなく、ありたい姿を描き、経験をほどき、古い前提を手放す場になる。後ろ向きな響きが消えて、前を向く行為に変わります。

三つ目は、「一人でやるもの」という縛りが外れること。多様な世界から学ぶことがリフレクションの一部だとすれば、対話も、フィードバックも、雑談さえも、リフレクションの機会になります。学びは、一人の頭の中ではなく、人と人のあいだでも起きるのです。

研修担当者にとって、これは設計思想の転換を意味します。リフレクションを「研修の最後に置く15分」として設計しているうちは、それは時間の奪い合いに負け続けます。そうではなく、日々の行為の中に、自分を見る見方をどう埋め込むか。振り返りシートを一枚増やすことよりも、その問いのほうが、ずっと遠くまで人を育てます。

リフレクションとは、静かな部屋で過去を振り返る時間のことではない。動きながら自分を見て、その気づきを、他者と変化へ開いていく——そういう「見方」のことである。

だとすれば、最後に置きたい問いは、これです。あなたの職場でリフレクションは、いま、時間を取って「やること」になっているでしょうか。それとも、動きながら自分を見る「見方」として、日々の仕事の中に生きているでしょうか。その答えの違いが、忙しさの中でも学び続けられる人と、忙しさの中で学びを止めてしまう人とを、静かに分けていくのかもしれません。

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