
コンテンツを増やし、奨励金をつけ、KPIを設定し、「月に一冊は本を読もう」というメッセージが上から流れる。この流れが、多くの組織での学習文化づくりの標準的なアプローチではないでしょうか。
しかし今、GallupやJosh Bersinの2026年レポートが示すのは、このアプローチの限界です。施策を重ねても現場は変わらない一方で、一人の周囲だけ学びの空気が流れている組織も存在する。「文化をつくる」という試みそのものが、本当に機能するのか——という問いです。
今月は、この問いを正面から見つめてみたいと思います。
1.「つくろう」とすると、壊れる
学習文化を根づかせたい、と思っている組織は多いはずです。しかし、その言葉が出た瞬間から、なぜか施策の話になっていく。コンテンツを増やし、奨励金をつくり、「月に一冊は本を読もう」というメッセージが上から流れてくる。
そして、何も変わらない。
一方で、どんな組織にも一人か二人、制度など関係なく自分から学び続け、その学びを誰かに渡し続け、気づけばその人の周囲だけ不思議と学習の空気が流れている人がいます。
この差を、どう考えるか。私はここに、文化というものの本質的な逆説があると思っています。
「つくろう」とした瞬間に、文化は遠ざかる。
2. 世界のデータが示す、静かな崩壊
2026年4月にGallupが発表した「State of the Global Workplace」は、思っていた以上に重いデータを示していました。世界全体の従業員エンゲージメントが20%まで低下し、2020年以来の最低水準に。推定される生産性損失は、10兆ドルにのぼります。
しかしより注目したいのは、その内訳です。この低下を主導しているのは、マネージャー層でした。マネージャーのエンゲージメントは2022年の31%から2025年の22%へと急落し、「管理職はメンバーよりも仕事に熱意を持っている」という前提がほぼ消滅しました。一方で、優れた組織のマネージャーエンゲージメントは79%と世界平均の約4倍です。
これを学びの文脈で読むと、一つの仮説が浮かびます。
最も学んでいる人のそばにいる人が、引き上げられるように学びはじめる。逆に言えば、学ぶことへの熱量がマネージャーの中に存在しない組織で、学習文化が育つことはおそらくない。制度や施策の問題ではなく、「伝播の起点」がないことの問題として。
3.「学ぶ時間がない」という言葉の構造
TalentLMSが2026年初頭に発表したL&Dベンチマークレポートには、こんなデータがあります。HR管理職の50%、従業員の53%が「業務負荷が高くて学ぶ時間がない」と回答している一方で、65%が「業績への期待はむしろ上がっている」と感じている、というものです。
「学ぶ時間がない」という言葉を、私はいつも少し引っかかりながら聞いています。
なぜなら、最もよく学んでいる人は、「学ぶ時間をつくっている」のではないからです。今日の商談でうまくいかなかった点を振り返り、同僚に「こういう場合どうしてる?」と聞き、翌日また試してみる。それも立派な学びです。でも本人は「学んでいる」とは思っていないことが多い。
「学ぶ時間がない」という言葉が出るのは、学びが仕事の外側に置かれているサインではないでしょうか。逆に言えば、学習文化が根づいている組織は、「学ぶ時間をつくっている」のではなく、「仕事の中に学びが溶け込んでいる」のだと思います。
4. AIが学びを処方するほど、学ぶ力が落ちていく
Josh Bersinは2026年3月の記事で、コーポレートトレーニング市場が「AIによるダイナミック・イネーブルメント」へと急速にシフトしていると述べています。AIが組織内の課題を自律的に発見し、最適な学習コンテンツをリアルタイムで提供する——そういう「自律型学習プラットフォーム」の時代が、現実のものになりつつある、と。
テクノロジーの進化を否定したいわけではありません。しかし私には、ここに一つの危うさが見えます。
AIリコメンドは「インプット」の精度を高めることには長けています。でも、現場で実践し、失敗し、言語化し、誰かに伝えるという「アウトプット」のプロセスには、ほとんど手が届いていない。インプットの精度が上がるほど、「受け取った=学んだ」という錯覚に私たちは陥りやすくなります。
学びを処方されるほど、自分で「学ぼうとする」筋肉が使われなくなる。これはとても静かな、しかし深刻な問題だと感じています。
一方でAIHRの2026年版トレンドレポートは、AIが定型業務を代替する時代に、ピアラーニング(仲間から学ぶこと)や実践コミュニティの戦略的価値が高まっていると指摘しています。「誰かから学ぶ」という、きわめてアナログな行為が改めて注目されている。これは偶然ではないと思います。「この本が良かったよ」「こう試したら面白かった」という共有は、AIには生み出せません。体験の共鳴は、人から人へしか伝わらない。
5. 今月、私が読んだ4本
①「State of the Global Workplace 2026」
出典:Gallup|2026年4月
🔗 https://www.gallup.com/workplace/349484/state-of-the-global-workplace.aspx
世界140カ国以上、26万人超の従業員を対象にした調査。この報告書が突きつける最も重要な問いは「エンゲージメントはなぜ、マネージャー層から先に崩れるのか」です。Gallupが長年積み上げてきたデータによれば、チームのエンゲージメントの70%はマネージャーの行動で決まるとされています。にもかかわらず、マネージャー自身のエンゲージメントが世界的に22%まで低下したということは、組織の学習・成長の連鎖が「中間」で切れていることを意味します。ベストプラクティス企業との4倍の差は、「文化の差」というより「伝播の起点の有無」の差として読むべきでしょう。
私がここに注目した:制度や施策ではなく、「誰が最初に熱量を持って動くか」がすべての起点になる。このデータはそのことを、数字で静かに証明しています。
②「The World of Corporate Training Lurches Toward Enablement」
出典:Josh Bersin Company|2026年3月9日
🔗 https://joshbersin.com/2026/03/the-world-of-corporate-training-lurches-toward-enablement/
4,000億ドル規模のコーポレートトレーニング市場が、「研修を提供する」モデルから「仕事の中で即座に使える支援を届ける」モデルへと急速に転換しつつある、と Bersin は論じます。AIが課題を自律的に発見し、最適なコンテンツをリアルタイムで処方する「自律型学習プラットフォーム」は、まるで自動運転車のように学習の道筋を設計します。ここで提起されているコンセプトは「イネーブルメント(Enablement)」——学習とパフォーマンスの境界線を溶かし、「学ぶ時間」を別途設けなくてもスキルが身につく状態を目指すものです。しかしこの記事を読んで私が感じるのは、イネーブルメントが完璧に機能するほど、「自分で問いを立てて学ぼうとする意志」が不要になるという逆説です。
私がここに注目した:「使えるようにする(enable)」と「学ぼうとする(intend to learn)」は、根本的に異なる動詞です。テクノロジーは前者を担えても、後者は人にしか宿らない。
③「11 HR Trends for 2026」
出典:AIHR|2026年3月4日
🔗 https://www.aihr.com/blog/hr-trends/
AIが定型業務・技術的業務を代替していくほど、人間にしかできない領域——共感・倫理的判断・文化の構築——が組織の競争優位の源泉になる、というのがこのレポートの中心的な主張です。その中で特に注目したいのが「ピアラーニング」と「実践コミュニティ(Communities of Practice)」の戦略的重点化です。これは単なるコスト効率の話ではありません。AIが「縦の学び(コンテンツから個人へ)」を効率化する時代に、「横の学び(人から人へ)」がむしろ希少で価値ある行為になっていく、という構造転換を示しています。2030年までに社会的・感情的スキルの需要が26%成長するという予測も、同じ文脈で読むべきでしょう。
私がここに注目した:AIが学びを垂直に届ける時代に、学びの水平伝播——「あの人から聞いた」「あの話が刺さった」——の価値が逆説的に高まっている。これはラーニングカルチャーの本質に直結する変化です。
④「2026 L&D Benchmark Report」
出典:TalentLMS|2026年2月
🔗 https://www.talentlms.com/research/learning-development-report-2026
HR管理職・従業員の双方を対象にした大規模定量調査。このレポートが描き出すのは、「業務負荷と学習への期待が、逆方向に同時に高まっている」という構造的矛盾です。注目すべきは、この矛盾が解消されていないにもかかわらず、学習へのエンゲージメントが高い組織では昇進率・継続率ともに高い、というデータが同時に示されていることです。つまり問題は「学ぶ時間の量」ではなく、学習が業務に統合されているかどうかという「設計の質」にあります。「学習文化が根づいている組織は、時間を確保しているのではなく、学びが仕事の一部として設計されている」——このレポートはそのことを、データの構造として示しています。
私がここに注目した:「忙しくて学べない」という言葉は、現象ではなく設計の問題です。学びが仕事の外に置かれている限り、どれほど時間を確保しても、文化にはなりません。
6. 記事を読んで、私が考えたこと
これらのトレンドを読みながら、私が思い出してきたことがあります。
学びとは「インプットすること」ではなく、「現場で実践し、知恵に変え、誰かに還元するところまで」なのではないか、ということです。そしてその還元に刺激を受けた誰かが、次の探索を始める。「この本が良かったよ」「この方法を試したら面白かった」という言葉が、別の誰かの学びの入口になる。
最も学んでいる経営者のそばにいる人が、引き上げられるように学びはじめる——そういう場面を、私は実際にいくつも見てきました。それは指示でも制度でもなく、ある種の「感染」です。
人は、お腹が空いていないと食べません。同じように、「学ぼう」という意欲は、目標の高さと、そこに自分自身の「火」を燃やせるかどうかにかかっています。そしてその火は、外から点けることができない。しかし——他の誰かの火が近くにあると、燃え移ることがある。
「ラーニングカルチャーをつくりたい」という試みの多くは、全員の火を同時に点けようとします。でも本当に機能するのは、一人の「良い火」をていねいに守り、それが自然に広がっていく環境を整えることではないでしょうか。
7. 整理すると——「創発」という考え方
「ラーニングカルチャーはつくれるのか」という問いへの私の答えは、こうです。
直接にはつくれない。しかし「創発」させる条件は、整えられる。
「創発(emergence)」とは、個々の要素の相互作用から、誰も意図していなかった全体的な秩序が生まれる現象のことです。アリの巣が好例で、「巣をつくれ」という指示からではなく、個々のアリの行動の連鎖から、複雑な構造が自然に生まれます。
ラーニングカルチャーも、同じ構造を持っているのではないでしょうか。「全員が学ぶ」から文化が生まれるのではなく、一人の「良い感染源」の実践・還元・共有が次の誰かの学びを誘発し、その連鎖として生まれてくる。
整理すると、その連鎖が起きるためには3つの条件があると思っています。
① 起点となる人の存在
学んだことを実践し、知恵に変え、誰かに渡す——この行動をとる人が一人いることが、文化の形成に施策よりもはるかに大きな影響を与えます。
② 安全に共有できる場
「知らない」と言えること、失敗を共有できること——この心理的安全性がなければ、誰かの学びは組織に還元されません。還元されなければ、伝播は起きない。
③ アウトプットの回路
AIがインプットを処方する時代に、「学んだことを試す場」「失敗を共有する仕組み」「誰かの知恵が次の誰かに届く構造」を意図的に設計することが、これからのL&Dの核心的な仕事になると感じています。
8. おわりに
文化は、「つくる」というよりも「育つ」ものに近いと思います。
種を蒔き、水を与え、光を当てる。でも育つかどうかは、土の力に委ねるしかない部分がある。庭師の仕事は花を咲かせることではなく、花が咲ける環境を整えることです。
あなたの組織に、一人でも「良い感染源」になっている人がいますか?
その人の火を守れているでしょうか。そして、その火が燃え移るための隙間が、日常の仕事の中にありますか?
ラーニングカルチャーへの問いは、結局のところ、そういう問いに還っていくような気がしています。
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