
日々の受講者のケア、講師との調整、会場の手配、そして山のような日報のチェック……。
4月から5月にかけての導入教育が無事に終わり、最終日を迎えて新入社員たちを現場へ送り出す日。達成感とともに、「これでようやく一安心」「私の担当範囲は終わった」と、深く胸をなでおろす瞬間かもしれません。ただそれで本当によいのでしょうか?本稿では、どこまでが企画の範囲かについて考えていきたいと思います。
1. 「研修運営係」か、「パフォーマンス・デザイナー」か
人は、自分が認識している「役割」以上の仕事はなかなかしません。企画書に書かれていない範囲には、手を出さないものです。
もし私たちが、新入社員研修の企画範囲を「導入教育最終日まで」と定義してしまえば、思考も行動もそこで止まります。「スケジュール通りに進んだか」「受講者の満足度は高かったか」が最大の関心事になり、配属後のことは「範囲外」として切り離してしまうでしょう。
しかし、本来の目的は何だったでしょうか。
それは、新入社員が現場に配属された後、半年後や1年後に「期待されるパフォーマンスを発揮できている状態」を作ることにあるはずです。
そう考えると、私たちが企画すべき範囲は「導入教育期間」だけではなく、「新入社員が現場で活躍し始めるまでのプロセス全体(パフォーマンス・デザイン)」へと広げるべきではないでしょうか。
範囲の定義を変えれば、見るべき場所が「研修室」から「現場」へと広がり、企画の中身も劇的に変わります。
2. なぜ「現場任せ」では成果が出ないのか?
「いい研修をしたから、あとは範囲外。現場で揉まれて成長するだろう」。
残念ながら、インストラクショナル・デザイン(教育設計学)の知見からすると、この期待は裏切られる可能性が高いと言わざるを得ません。
「研修転移」という言葉をご存じでしょうか。研修で学んだことが、実際の現場で応用・実践されることを指します。
研究によると、特別な仕掛けがない場合、この「転移」が起こる確率はわずか10〜20%程度と言われています。つまり、どんなに素晴らしいカリキュラムを実施しても、「現場への接続(転移のデザイン)」までを企画範囲に入れなければ、投資の8割は現場の忙しさの中で蒸発してしまうのです。
私たち研修担当者の仕事は、この「失われる8割」を食い止め、現場でのパフォーマンスに変換することにあります。
3.「配属前」に関われないからこそ、「引き継ぎ」が命綱になる
では、どうすれば転移を起こせるのでしょうか。ここで、研修設計における有名なフレームワーク「ブロード&ニューストロムのマトリクス」をご紹介します。
彼らの研究によると、研修の成果に最も強い影響を与えるのは、「研修当日の講師」ではありません。
なんと、1位は「受講前の現場上司」、2位は「受講後の現場上司」なのです。私たちが必死に作り込んでいる「研修当日」の影響力は、実は現場の関わりよりも低いという衝撃的なデータです。
しかし、ここで多くの新卒研修担当者が壁にぶつかります。
「新入社員研修の場合、配属が決まっていないことも多く、受講前(入社前)に現場上司が関わるのは物理的に無理だ」と。
おっしゃる通りです。新入社員研修においては、最も効果が高いとされる「受講前」のアプローチが封じられているケースがほとんどです。だからこそ、「受講後(配属直後)」の関わりと、そこへの「引き継ぎ」のデザインまでを企画範囲に含めることが、通常の研修以上に重要になるのです。
「事前」に関われない分、「事後」のフォローと「現場への接続」の強度を上げなければ、研修効果は限りなくゼロに近づいてしまいます。人事が企画すべきは、現場任せにすることではなく、「現場が指導しやすい状態」をお膳立てして、バトンを渡す(握る)ことです。
4. 「教材」ではなく「ジョブ・エイド」を渡す
現場と握るための具体的な武器として、提案したいのが「ジョブ・エイド(業務支援ツール)」への転換です。新入社員研修でよくある「立派なテキスト」。配属後にこれを開く新人はどれくらいいるでしょうか? 現場の先輩も「そんな分厚いもの読んでる暇があったら仕事を見て覚えろ」と言うかもしれません。記憶に頼らせる教育は、現場の忙しさの前では無力です。
現場が必要としているのは、「その瞬間に答えがわかり、ミスを防げるツール」です。
人事としての企画の範囲を、テキスト作成で終わらせず、配属後に現場で使われる「ジョブ・エイド」の開発まで広げてみてください。
・チェックリスト:商談前に確認すべき3つのポイントが書かれたカード
・フローチャート:トラブル対応の手順が一目でわかる1枚の図
・テンプレート:穴埋めするだけで完璧な日報が書けるフォーマット
例えば、「研修では報連相の重要性を教えました」と報告するだけでは、現場は「そうですか」としか言えません。
しかし、「研修ではこの『報連相チェックシート』を使って訓練しました。配属後1ヶ月は、部下が迷っていたらこのシートを指差して指導してください」とツールごと渡せばどうでしょうか。
現場のマネジャーは「何を指導すればいいか」が明確になり、共通言語を持って育成に関わることができます。これが、デザインされた「引き継ぎ」です。
5. 企画の「範囲」を再設定しよう
今年の企画書を、もう一度見直してみてください。そこには「導入教育期間のカリキュラム」しか書かれていないでしょうか?
もしそうなら、ぜひ「配属後の現場との連携プラン」や「現場で使わせるツール(ジョブ・エイド)」の項目を企画の範囲として書き加えてみてください。
「導入教育最終日は終わりではない」というメッセージを、企画書という形にして組織に示すのです。
自分の役割を「研修運営」から「現場での活躍支援」へと再定義すること。そして、現場が使いやすい武器(ツール)を用意して、意図的に「握る」こと。
この視点の転換こそが、形骸化しがちな新入社員研修を、組織の未来を作る「投資」へと変える鍵になります。
今年の企画は、ぜひ「4月の先」までデザインしてみてください。