
本記事では、LMS導入を単なるツール導入から「組織変革(チェンジマネジメント)」へと昇華させ、自律的な学習文化を創るための思考法とフレームワークをご案内します。
1. なぜLMSは「動画置き場」と化すのか?
多くの企業において、LMSの導入プロジェクトは「ITプロジェクト」として扱われがちです。
「今のシステムが古くなったからリプレイス(置き換え)しよう」
「他社も入れているから、うちもeラーニングを導入しよう」
「スマホ対応していないと不便だから、最新のものに変えよう」
もちろん、これらも大切な要素です。
しかし、これだけを目的にしてしまうと、プロジェクトのゴールは必然的に「システムが稼働した日(Go-Live)」に設定されてしまいます。システム担当者は、バグなく稼働させることに全力を注ぎます。人事担当者は、過去の受講データを移行し、新しいシステムで「これまで通りの研修」が運用できるかをチェックします。
そして無事にリリース日を迎え、全社員に「今日からこのURLにアクセスしてください」とメールを一斉送信する。ここでプロジェクトチームは「終わった!」と祝杯をあげますが、現場の社員にとっては「悪夢の始まり」でしかありません。
「また新しいツールが増えたのか……」
「IDとパスワードは何だっけ?」
「忙しいのに、動画を見ろというメールが毎日来てうんざりする」
これが、いわゆる「仏作って魂入れず」の状態です。
箱(システム)は立派になりましたが、そこで行われる「学び」の質や、社員の「意識」は何も変わっていません。結果として、誰も自発的には見に来ない、ただの「動画置き場」と化してしまうのです。LMS導入の本質的なゴールは、システムを入れることではありません。そのテクノロジーを使って、従業員の行動を変え、組織の風土を変え、最終的にビジネスの成果につなげること。つまり、LMS導入と、本質的には「組織変革(チェンジマネジメント)」のプロジェクトなのです。
まずはこの認識を持つことが、成功への第一歩です。
2. 「管理」から「支援」へのパラダイムシフト

では、具体的に「何」を変えればいいのでしょうか?
システムを変える前に、私たちの頭の中にある「教育観」というOS(オペレーティングシステム)をアップデートする必要があります。これまでの企業研修は、まさに「管理(Management)」の世界でした。会社が正解を知っていて、それを効率よく社員に伝達する。LMSの役割は、「誰が受講して、誰が受講していないか」をチェックし、受講していない人を督促するためのツールでした。いわば、「統制(Control)」のためのシステムです。
しかし、今の時代はどうでしょう?VUCAと呼ばれる予測不能な環境下において、過去の正解が明日も通用するとは限りません。会社が一方的に教えるだけでは、変化のスピードに到底追いつけないのです。
今求められているのは、「支援(Enablement)」へのシフトです。
従業員一人ひとりが、現場で直面する課題解決のために、必要な時に必要な学びを得る。自ら学び、その知見を共有し、互いに高め合う。LMSは、そんな自律的な学びを支援し、動機づけ、エンパワーメントするための「体験(Experience)」のプラットフォームであるべきなのです。
・Old Reality(旧来): 「受講率100%」を目指す管理ツール
・New Reality(未来): 「自ら学びたくなる」体験を提供する成長エンジン
このパラダイムシフトなしに、いくら高機能なAI搭載のLMSを入れても、それは「使いにくい管理ツール」がまた一つ増えただけに終わってしまいます。成功の鍵は、技術(Technology)ではなく、人(People)と文化(Culture)にあるのです。
3. 組織を動かす「Kotterの8段階」
「組織文化を変えるなんて、壮大すぎて何から手をつければいいかわからない」
そう思われるかもしれません。しかし、組織変革には「成功の型」があります。それが、ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・コッター教授が提唱した「変革の8段階プロセス」です。これをLMS導入の現場に当てはめてみましょう。多くの失敗事例は、この手順を飛ばしてしまっているのです。

Step 1. 危機意識を高める(Urgency)
多くのLMS導入プロジェクトが、いきなり「機能要件定義」から始まります。しかし、コッターはまず「危機意識の醸成」から始めよと言います。
失敗するパターンはこうです。
人事部「他社もやっているし、これからはDXだよね」
現場「(今のままで仕事回ってるし、別に困ってないけど……)」
これでは誰も動きません。
「なぜ、今のままではいけないのか?」
「なぜ、私たちの組織には『自律的な学習』が必要なのか?」
例えば、競合他社にシェアを奪われている事実、新しいスキルを持った人材が不足しているデータ、あるいは若手社員からの「この会社では成長できない」という悲痛な退職理由。こうした「痛み」や「事実」を直視し、経営層や現場と共有することからすべては始まります。
Step 2. 変革推進チームをつくる(Guiding Coalition)
次にやりがちな失敗が、「人事部だけの孤軍奮闘」です。「人事がまた何か勝手なことを始めたぞ」と現場に思われたら、そのプロジェクトは頓挫します。
変革を成功させるには、強力な連帯チームが必要です。
・経営層(スポンサー): 変革の意義を語り、リソース(予算・人)を承認する人。
・IT部門: 技術的な実現性を担保し、既存システムとの連携を担う人。
・現場のインフルエンサー: 現場のキーマン。「あの人が言うならやってみよう」と思わせる影響力のある人。
特に重要なのが、現場のインフルエンサーです。彼らを初期段階からプロジェクトに巻き込み、「自分たちが作ったシステムだ」と思ってもらうこと。これが後の普及フェーズで効いてきます。
Step 3. ビジョンと戦略を掲げる(Vision & Strategy)
「新しいLMSを導入します」はビジョンではありません。それは単なる手段です。ビジョンとは、「その先にどんな未来があるのか」を描くことです。
「いつでもどこでも、スマホ片手に世界中の最新知見にアクセスできる組織」
「困ったときにLMSを見れば、社内の誰かの『集合知』が必ず助けてくれる環境」
「学びがキャリアアップに直結し、誰もがワクワクしながら働いている未来」
このような「実現したいワクワクする未来図」を、わかりやすい言葉で語ること。機能の話をする前に、夢を語りましょう。人は「機能」には動きませんが、「夢(ビジョン)」には共感し、動くことができる生き物なのです。
4. 人の心を動かす「ADKARモデル」

組織レベルのアプローチと同時に必要なのが、「個人の心」へのアプローチです。組織が変わるとは、結局のところ、そこで働く一人ひとりの行動が変わることに他なりません。ここで役立つのが、Prosci社が提唱する「ADKAR(アドカー)モデル」です。人が変化を受け入れ、行動を変えるまでの5つのステップを表しています。
1)Awareness(認知):なぜ変わる必要があるのかを知る
2)Desire(欲求):変わりたい、参加したいと思う
3)Knowledge(知識):どうすれば変われるか(やり方)を知る
4)Ability(能力):新しいスキルや行動を実践できる
5)Reinforcement(定着):変化を維持し、定着させる
多くの失敗は「A」と「D」の欠如から生まれる
LMS導入でよくある失敗は、いきなり「K(知識)」から始めてしまうことです。つまり、導入直後に「操作説明会」や「マニュアル配布」を行ってしまうパターンです。社員の心理状態を見てみましょう。
「なぜ新しいシステムが必要なのかわからない(Awarenessなし)」
「忙しいから使いたくない(Desireなし)」
この状態で、「ログイン方法はこうです」「動画の再生ボタンはここです(Knowledge)」と教えられても、右から左へ聞き流されるだけです。むしろ、「面倒な作業を押し付けられた」という反発心すら生まれます。
成功への処方箋
説明会を開く前に、徹底的に「A(認知)」と「D(欲求)」にアプローチしてください。
Awareness(認知)へのアプローチ:
・経営トップからのメッセージ動画配信。「なぜ今、学びが必要なのか」を熱く語ってもらう。
・社内報やタウンホールミーティングでの繰り返しのアナウンス。現状の課題とリスクを共有する。Desire(欲求)へのアプローチ:
・「WIIFM(What’s in it for me?:私にとってどんないいことがあるの?)」を伝える。
・「このLMSを使えば、面倒な業務がこれだけ楽になる」「市場価値の高いスキルが身につく」といった個人のメリットを提示する。
・先行して使ってみた社員(パイロットユーザー)の「これ、すごく便利だよ!」という口コミを広める。
「やり方(Knowledge)」を教えるのは、社員が「必要だ(Awareness)」「やってみたい(Desire)」と思ってからです。順序を間違えないこと。これだけで、LMSの定着率は劇的に変わります。
5. 結論:テクノロジーではなく「人」を見よう
ここまで、LMS導入を成功させるためのマインドセットと理論についてお話ししてきました。かつて、私たちHRの役割は「管理」でした。研修を企画し、部屋を押さえ、出欠を取り、受講後のアンケートを集計する。しかし、これからの時代、HRに求められるのは「変革のリーダー」としての役割です。
テクノロジーはあくまで道具に過ぎません。LMSという道具を使って、人と組織をどう動かし、どんな新しい文化を作っていくのか。その設計図を描けるのは、ベンダーでもIT部門でもなく、人・組織の専門家である皆さんしかいないのです。
「システムを導入する」と考えるのをやめて、「学習する文化を作る」と考えてみてください。きっと、やるべきこと、見るべき景色が、ガラリと変わって見えるはずです。
次回の【後編】記事では、今回の理論をさらに実践に落とし込むための「5カ年戦略ロードマップ」についてご案内します。 「具体的にいつ、何をすればいいのか?」 「現場の『時間がない』という言い訳をどう突破するか?」 といった、明日から使える具体的な戦術をお渡しさせていただきます。
▼文化を創る5カ年戦略【後編:実践編】はこちら
LMSは「箱」ではない。文化を創る5カ年戦略【後編:実践編】